2011/03/08 09:31:24
例えば、行審法、行訴法、行手法などの学習を進める際は、前にも書きましたが、どこの何のところを自分が勉強しているのかを確認しながら勉強しないと知識が錯綜いたします。
科目がたくさんあり、とにかく早い時期に過去問をまわさないと・・・と言う気ばかりアセって・・・いったいぜんたい
何を勉強しているのかがわからなくなることがあります。
過去問を解いてただ単に正解だった・・・など、どうでもよいことです。
過去問を解くということは、出される箇所を特定すること以外にたいした意味はありません。
過去問を何回も解いていると、問題文を1行読んだだけで答えが出てくるようにもなりますが、これが意味あることかどうかは、かんがえていただくとおわかりですよね?
理解できているかどうかは、わからないものです。
民法もそうですが、問題文を読んで最低限、総則、物権、債権、親族、相続のどの部分の問題で何を問うているのかを考えて解答しましょう。
その癖はつけていたほうが良いと思います。
細かなところも部分的には学習する必要がありますが、必ず全体像を把握するために
「木ばかり見て、森を見ない・・・」と、言う様なパターンは避けたいものです。
頭の中に細かな部分が断片的に詰め込まれていても、すぐに役にも立ちません。
箪笥の引き出しの中に、グチャグチャにモノを詰めて引き出しが開かないような状態になるだけです。
また普段からこうした考えを持つとあることが見えてまいります。
「あること」とに関しては次回。
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